ピーター・シンガー(1)

ドイツ語圏でのピーター・シンガー倫理学の紹介および批判の一例。
 
 
(要点)
功利主義(社会の構成員の幸福を増進する行為を善とみなす思想)の立場に立つシンガーの扱う生命倫理学の問い:
「断種・自殺幇助は許されるか?」
「生命は無条件に延長されるべきか?」
「人間は動物にいかに振舞うべきか?」
「動物を殺してよいか、『動物にふさわしくない』状況においてもよいか、実験材料として苦しめてもよいか?」
「人間は環境を守るべきか?」
 
シンガー倫理学の「問題発言」:
重度障害者として生まれてきた乳児は、生後においても将来の苦痛を避けるために(「医師と両親との間で、新生児が重度の障害ゆえに将来わずかな満足すら与えられないだろうというコンセンサスが得られる」という条件の下で)安楽死措置がなされてよい、と考えた点。
 
この主張の「根拠」とされている考え:
延命と苦痛のない死は同じ価値を持つ。
 
シンガーの問題提起:
生まれる直前の胎児が出生前診断等によって殺されてもよいとするならば、早産または生まれて一ヶ月ほどの、出生直前の胎児と生物学的に相違のない乳児が殺されてはいけないというのはいったいどういうわけか。
 
(↑母親の苦痛を経る出生という事実は、生物学的相同性に比べて無視してよい事柄ではない。ただし、そのことは、出生の時点を胎児を殺してよいか悪いかという基準とみなすことを正当化しない。)
 
「種差別」論:
「人類に属しているというだけの理由でその生命に尊厳を与えるのは、特定人種に属しているからその人間を尊厳に値するとみなす人種差別論者の論理と同じである。」(シンガー)
 
⇔「持続する意識または自己意識の持ち主=人格personにのみ『生存権』は属する。」(同)
 
二つの問題点:
1)自己意識の基準があいまい→にもかかわらず一部高等動物種または人間の重度障害児について、自己意識の有無によって保護したり安楽死を認めたりするのはおかしいのではないか。
2)シンガーの議論に従えば、事故や老齢によって脳機能に障害がある場合、自由意志に基づかない安楽死が容認される可能性がある。
 
痛覚を持つ(「有感sentint」)生物は苦痛を取り除かれる権利を持つ。これに対し、人格性を持たない「人間」は尊厳でない。また、たとえば霊長類やクジラなど一部哺乳類は人格性の条件を満たしている。←これが、シンガーの「普遍的倫理」の重要命題である。人間が「人間であるがゆえに」尊厳であるというのは、シンガーによれば種差別である。
 
(↑なお、カントの尊厳論は、動物に権利を認めることなくしてこれを保護するという主張と整合的であった。カントによれば、動物の苦痛をなんとも思わないこと、あるいは自然の美しさに無頓着であることは、人間の人間自身に対する道徳性と両立できない。Vgl.『人倫の形而上学』および『判断力批判』)
 
生命の「普遍的」能力別階層論:
痛覚→意識→自己意識→合理性(意図的期待と将来見通し)
・・・ここから一部高等生物には「生存権」が備わり、また重度障害胎児は痛覚を持つ他の生物と同程度の権利しか持たない、という議論が展開される。(他の動物種にまで拡張された平等論)
 
CDU代議士ペーター・リーゼ(Peter Liese)は、「新生児は生存権を持たないなどというシンガーの主張は、ドイツ基本法(「人間の尊厳の不可侵性;"Die Menschenwürde ist unantastbar")に著しく反するものであり、そもそも議論の俎上に載せられるべきでない」として、シンガーのドイツ入国拒否を正当化した。⇔しかしそれは言論の自由の制限ではないか?安楽死を政策としたファシズムの過去を繰り返してはならないという教訓と、言論の自由との拮抗。
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