月別アーカイブ: 2005年3月

ヴァーグナー、マーラー、アドルノ(18)

復活祭休み明け。アドルノ論の最後の節。今回を含めてあと二回で完結の予定。(といっ … 続きを読む

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矛盾に立つキリスト教徒

今日はアドルノ論はひと休み。 昨日、テレビで偶然、「矛盾に立つキリスト教徒(Ch … 続きを読む

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ヴァーグナー、マーラー、アドルノ(17)

10. 音楽表現におけるジンテーゼ  このようなマーラーの音楽の特異な響きは、形 … 続きを読む

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ヴァーグナー、マーラー、アドルノ(16)

 それでは一体、マーラーの音楽において進歩的であったのは、具体的に何であっただろ … 続きを読む

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ヴァーグナー、マーラー、アドルノ(15)

 マーラーの音楽における進歩(Fortschritt)と退行(Regressio … 続きを読む

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ヴァーグナー、マーラー、アドルノ(14)

 一方、マーラー論においては、合理的自然支配の非合理性、そして芸術によるミメーシ … 続きを読む

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ヴァーグナー、マーラー、アドルノ(13)

(前回への注。「美的合理性」に関し、アドルノ最晩年の論考、『美の理論』から、関連 … 続きを読む

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ヴァーグナー、マーラー、アドルノ(12)

 社会全体の経過を個人が構成しうるという見通しは、ベートーヴェンにはあったが、マ … 続きを読む

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ヴァーグナー、マーラー、アドルノ(11)

7. マーラーの「過大な要求」 初期市民社会において、全体性を自ら作り出していた … 続きを読む

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ヴァーグナー、マーラー、アドルノ(10)

 そもそも音楽における個別的なものとしての着想(Einfall)は古い概念ではな … 続きを読む

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